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異なる人同士が協力し合えば物語の結末が変わり、
現実のまちも変わっていく。
異言語イマーシブシアター『交差』体験レポート
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​2026.04.13

「手話と音声が交錯するイマーシブシアターって、一体どんな感じだったの?」

異言語イマーシブシアター『交差』は、ろう者の役者5人、聴者の役者5人が出演し、役者と観客が同じ空間を動き回って物語が進む没入型演劇です。2025年11月、「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」に合わせて開催されました。日程が限られていたので、「気になっていたけど参加できなかった」という人もいたのではないでしょうか。

手話と音声が交錯するイマーシブシアターは、おそらく世界初の試み。稽古現場や当日の会場でどんな“交差”が起きていたのか、ちゃんと記録として残しておきたいし、参加できなかった人にも知ってほしい! ……ということで、稽古の様子と本番の様子をレポートします!

(文・飛田恵美子)

お互いの知識や経験にリスペクトを持ち、みんなで作品をより良いものにしていく

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はじめまして、フリーライターで聴者の飛田恵美子です。これまで何度か手話通訳を介してろう者へのインタビューを行っていて、自分でも手話ができるようになりたいと思っています。ただ、手話単語をある程度覚えても、いざろう者を目前にするととっさに手が動かず、読み取りにも苦戦。なんだかすごくあたふたしまうのが現状です。

そんな私ですが、異言語Lab.代表の菊永ふみさんからお誘いをいただき、『交差』の稽古現場を何度か見学させてもらいました。『交差』の関係者は聴者でも手話ができる人が多く、手話ができない人は少数派。最初に稽古現場を訪問したときは少し緊張しましたが、手話通訳者がずっと通訳してくれていたので、その場で何が起きているのかわからず困ることは一度もありませんでした。

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見学していて、最初に「おもしろいな」と思ったことがあります。それは、ことあるごとに全員で輪になり、監督も演出家も役者も関係なく手を挙げて、演出や演技、稽古の進め方について意見を出し合っていたこと。

これまで見学したほかの稽古現場では、監督や演出家と役者が楽しそうに談笑していても、そこには上下関係や見えない壁が存在することが察せられました。立場が強い人が場の空気を支配していて、そういう人がピリピリしていると周りの人は顔色を伺い萎縮する。声の小さい人が発言しても、声の大きい人に途中で遮られ、かき消されてしまう。稽古現場に限らず、よく見かける光景です。

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でも、『交差』の現場はまったく違いました。その場にいる人の間に上下関係はなく、ただ職能や得意なことが異なるだけ。それぞれが培ってきた知識や経験や意見をお互いに尊重し合っていて、みんなで話し合いながら作品をより良いものにしていく。そんな雰囲気が漂っていたのです。

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これは監督のふみさん・演出家の數見さんの工夫や『交差』に集まったメンバーの性質によるところが大きいのだと思いますが、ろう文化のひとつの側面でもあるのかもしれないな、と思いました。

 

手話で話しはじめても、自分を見てもらえなければ伝わりません。だからろう者は周りをよく見ていて、誰かが手を挙げるとその人にまっすぐ顔を向けて、話し終わるまで視線を逸らさない。そうした視覚言語話者ならではの「相手をよく見る」習慣が、「相手を理解しようとする態度」「相手を尊重する態度」につながっている……というのは考えすぎでしょうか。

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手話通訳が間に入るとまた違ってくるのでたしかなことは言えませんが、とにかくそんなことを考えてしまうくらい、『交差』の稽古現場の雰囲気は民主的で、安心して意見が言える場のように見えたのです。

実際に、「手話ができない聴者」である鈴木ぱんださん、林優花さんは、イマーシブシアター特有のノウハウをメンバー全員に伝えていて、その内容は確実に作品の質を高めることに貢献していました。少数派が意見を言いにくい環境、「異なること」を尊重しようとしない環境だったら、せっかくの知見は活かされなかったかもしれません。

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数人に分かれて身体を動かしたり、演出について話し合ったりする場面では、ろう者と手話のできない聴者の組み合わせも見られ、筆談やジェスチャー、手話通訳などさまざまな方法でコミュニケーションを取っていました

もうひとつ印象的だったのが、2回目、3回目に見学したとき、会場に入って「ふみさんいるかな?」とキョロキョロしていると、ろう者の役者さんがすぐに気づいて挨拶し、ふみさんを呼んでくれたこと。「本当に周りをよく見ているんだな」「ちゃんと顔を覚えて気遣ってくれているんだな」と驚きつつ、嬉しく思いました。

また、数グループに分かれて稽古をする場面で、ろう者同士が会話している様子を眺めていたら、手話通訳者さんが「通訳しましょうか?」と話している内容を教えてくれたこともありました。情報が行き渡らず取り残されている人がいないか、常に目を配っているのでしょう。こうした気遣いを受けると、人は安心してその場にいられるものですね。

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登場人物同士が、登場人物と参加者が、参加者同士が交差する物語

 

(※注意※ このパートに『交差』の重大なネタバレはありませんが、公演の雰囲気や進行については触れていて、簡単な考察も行っています)

 

2025年11月、「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」で『交差』の初演が行われました。受付は杉並区芸術会館「座・高円寺」の1階ホール。数十名の参加者のうち、誰がろう者で誰が聴者なのかはぱっと見ではわかりませんが、手話で会話している人が多かったように思います。東京“国際”ろう芸術祭だけあって、外国人のろう者と思われる人も十数名いました。

1人で参加しているように話しかけてみようかな、と思ったのですが、「相手がろう者や外国人だったらその後どう会話を展開しよう? これって手話でどう表すんだっけ」とあれこれ考えているうちに受付時間となり、階段を上って「カフェ アンリ・ファーブル」へ。

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席に座って泣いている女性とその女性を気遣わしげに見つめる男性、トレーを持ったウエイトレスに新聞記事を配る男性……会場には役者も数名紛れています。全員が席に着いた頃、時空探偵団の団長とアシスタントがスクリーン前に立ち説明を始めました。

 

かつては「手話と音声が飛び交う活気に満ちたまち」だったイーゲン市。しかし、ある事件を機に、手話話者と音声話者は分断され、お互いのまちは大きな壁で隔てられるようになりました。その事件とは、イーゲン市長の暗殺事件。記録は抹消されていて、事件の詳細はわかりません。「過去にタイムスリップして事件の全容を把握し、暗殺を未然に防いで未来を変えること」――それが時空探偵団の新人探偵である私たちに課されたミッションです。

説明が終わると、参加者はさっそく席を立ち動き出しました。登場人物のリストを手に「この人が気になるから張り付いてみよう」としっかり意志を持って行動する人もいれば、目が合った役者にふらりとついていく人も。こんなふうに自分で自由に動けるところがイマーシブシアターのおもしろいところです。

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私自身はというと、記事を渡してくれた新聞記者のペンについて行きつつ、途中で遭遇した花屋のマリーとレオのやりとりを眺め、ママが数人の参加者を引き連れているのを見かけてついていき、市長や秘書とすれ違い……だいぶ気ままに動いてしまったし、手話が読み取れず首を傾げる場面もありましたが、それでも「もしかしてあの人とあの人はこういう関係なのかも?」「アレをなんとかすれば事件を防げるのかも?」と、いくつか重要そうな情報を見つけることができました。ただ、断片すぎて全容がわからない!

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そう悩んでいると、スタッフから「まもなく市民説明会を開始します」と促され、参加者全員がホールに集まりました。市民説明会の途中で団長が時を止め、新人探偵たちは集めた情報を共有することに。日本手話通訳、国際手話通訳を介して、ろう者も聴者も手を挙げて自分が発見したことを発表していきます。それによってだんだんと事件の全容が見えてきました。

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でも、事件を防ぐにはまだ足りないピースがあります。一体どうすれば……? 市民説明会の後も自由に動ける時間があったのですが、何をすればいいかわからずタイムオーバーに。「ほかの参加者が何かアクションをしてくれたかも!」と期待しつつカフェに戻りましたが、願いは叶わず市長は倒れ、バッドエンド……。やりきれない気持ちを抱えて1階に降りると、ホールでは参加者が熱心に感想や考察を語り合っていました。

 

「誰について行ってどんな情報を得ました?」「あの人は実は××で、××をしていました」「こっちでは××をしていたんだけど、××がわからなくて」「あ、それは××だったんですよ」「ということは、××すればよかったんだ!」

 

お互いが手にした情報を伝え合うことで、「どうすれば市長の暗殺を防げたのか」がわかりました。終了後のこの時間がとても楽しかった分、イベント時間内にこれができなかったことが悔やまれます。もっと早く、もっと熱心に情報を共有していれば。そして、ろう者と聴者が協力して、手話で繰り広げられていた会話と、音声で繰り広げられていた会話の内容を伝え合っていれば。市長の暗殺を防いで、イーゲン市に「手話話者と音声話者が一緒に暮らす未来」をもたらせたかもしれないのに……!

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思い返すと、ろう者の役者の会話を見ていたとき、手話がわかる聴者の参加者が「いま2人はこう言ってました」と教えてくれた場面があったのに、私自身はろう者に対して「音声でこういう会話がありましたよ」と補足したり、話しかけて情報を交換したりすることはしませんでした。「もう知っている情報かも」「向こうは話したいと思っていないかも」「それに、どう伝えればいいかわからないし……」と思ってしまって、とっさに言葉が出てこなくて。

 

稽古の様子を見て、「異なる知識や経験を共有すること」「言葉が違ってもコミュニケーションを取ろうとすること」の大切さを感じていたのに、実践するとなると難しいものですね。

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そんなふうに、『交差』を通して感じたこと、考えたことがたくさんあったので、その場に居合わせた参加者同士で近隣のお店に向かい、感想戦を行うことにしました。道中、同じく『交差』に参加していたフランス人ろう者の男性と遭遇し、手話ができる聴者の女性の通訳のもと十数分話す場面も。「手話がわからなくても楽しめた?」と質問されて、「そうか、ろう者も聴者がちゃんと情報を得られているか気にしてくれていたんだな」とわかったりして、本当に楽しく刺激的な時間でした。

『交差』で自分がどう振る舞ったのか、何を感じたのか。参加者がお互いの体験を語り合うところも含めて、『交差』というコンテンツの一部なのだと思います。

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後日、「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」を訪問すると、『交差』に出演するろう俳優の奥村泰人さんや、『交差』体験後に話したフランス人ろう者の男性がブース出店していて、手話や身振り手振りを使って会話しました。なかなか手話が読み取れず焦る場面もありましたが、その分伝わったときの感慨もひとしお。少しずつ、手話で会話することに慣れていっている気がします。

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『交差』で初めてお会いして感想戦を行ったソメルポのゆきのさんとも再会しました

『交差』を体験して私が考えたこと

余談ですが、『交差』を体験した後、とあるろう者・難聴者の集まりにボランティアとして参加しました。スタッフもボランティアもいい人ばかりで、本当に楽しかった。ただ、その場で交わされた会話は音声言語中心。手話は情報保障のような位置付けで、スタッフの音声による説明を、手話ができる聴者のボランティアがろう者のボランティアに通訳して伝えていました。ろう者の選手やボランティアからすると、「ろう者の集まりなのに聴者中心の場なんだな」とがっかりしたり、疎外感を感じたりする場面もあったのではないでしょうか。

 

「ろう文化に触れる機会の少ない聴者」の体験としても、「楽しかった」だけで終わってしまってよかったのかな、と思います。多数派の立場から少数派を気遣ったり、情報保障を行ったりするのはもちろん大事なこと。でも、『交差』や「手話のまち 東京国際ろう芸術祭」のように、「自分が少数派の立場になる体験」「対等な立場でお互いに関わろうとする体験」のほうが、私にとっては学びや刺激がありました。

 

自分が少数派になるだけでなんとなく心細さを感じること。そういうときに周囲の人からの気遣いを受けると「ここにいていいんだ」と思えること。自分と異なる部分が多い人と接すると発見が多く楽しいこと。尻込みしていてはもったいないこと。

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ここからさらに余談となりますが、私はここ数年、「人と会話をするとき、常に聞き役になってしまう」という悩みを抱えていました。「人の話を聞くこと」はインタビュアーとして重要な能力ですが、プライベートの時間でもカフェ店主やツアーガイドなど初対面の人から長々と自分の話をされることが続いて戸惑っていたのです。

このままでは「聞くこと」そのものが嫌になってしまうと思い、「聞かない」ために色々なことを試しました。質問をしない、相槌を打たない、一度席を立って会話をリセットする、文脈を無視して自分の話をする。それでもなお一度勢いのついてしまった相手は止まらず、自分も疲れるばかり。

これは小手先のテクニックでどうにかなるものではなく、何か自分自身に根本的な原因があるのかもしれない。そう思いつつ答えを出せずにいたのですが、「なぜ自分はろう者や外国人を目前にするとやたらと緊張してしまうのだろう」と考えるなかで、「こういうことかな?」というものが見つかりました。

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もともと私は考えをすぐに整理して言葉にすることが苦手で、聞き上手になることで弱みをカバーし人と関係を築いてきました。それはある程度うまく機能してきたけれど、根底には「まとまっていない話を相手に聞かせるのは申し訳ない」「人の話をうまく聞けない自分には価値がない」という自信のなさが潜んでいたのだと思います。だから自分が理解できない言語を使う人を目前にすると「聞く」能力を発揮できず勝手に申し訳ない気持ちになっていたし、そうした私自身の心のありようが伝わって相手を「よく話す人」にしていたのかもしれません。

 

でも、コミュニケーションとは本来双方向的なものだし、会話が弾まなかったからといって100%自分に責任があるわけじゃない。もっと肩の力を抜いて相手に委ね、「自分に興味を持ってくれているなら、上手く言葉にできなくても聞いてくれるはず」と相手を信頼することが大事なんじゃないか。そう思ったら、日本語話者とも、日本語話者以外の人とも、これまでより気負わず話せるような気がしてきました。

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話がだいぶ横に逸れてしまいましたが、これも『交差』という物語のひとつの作用だと思うのです。異なる言語、異なる文化の人とコミュニケーションを取ろうとすると不安やもどかしさを感じることもあるけれど、それでも伝えよう、理解しようと試行錯誤することで、相手がしてくれている気遣いや、自分の中にある無意識の思い込み、コミュニケーションの癖に気づいて、より深く人と通じ合えるようになる。日常に留まっていたら生まれなかった変化が起きる。

 

『交差』を体験する人が増えたら、イーゲン市だけでなく現実のまちも、「手話と音声が飛び交う活気に満ちた」まちに、「異なること」を楽しみ尊重し合えるまちになっていくのではないでしょうか。

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2025年11月の初演後、2026年3月に再演を行なった『交差』ですが、4月から座・高円寺の指定管理者が変わり「カフェ アンリ・ファーブル」も閉店するため、「これが最初で最後の再演」とのこと。『交差』は座・高円寺特有の構造をもとに台本や演出が設計されているので、たしかに別の場所で開催するのはかなり難しそうです。

でも、この物語を数回の公演で終えてしまうのはあまりにもったいない! 勝手なことを言えば、全国を巡ってたくさんの人にこの体験を届けてほしいし、参加した人の感想をもっと聞きたい。

またいつかどこかで、何らかの形で。『交差』が開催されることを願っています。

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